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8年間引きこもっていたら統合失調症と診断されました。

統合失調症と診断された元引きこもりの覚え書き。

漫画について。

漫画について

頭を整理するためにもわたしが構想していた漫画のアイデアを晒してみたいと思います。実際これらの漫画のイメージはわたしの3月4日の体験に深く絡み合っているため、そちらを再構成するためにも重要ではないかと思うのです。まああくまで忘備録というか、覚え書きなので読んで面白いかは分かりませんし、ましてや漫画として面白いかどうかもわかりません。ただの自己満足ですね。

まず東日本大震災が落ち着いてきた時期(具体的にいつかは思いだせない)に、トイレに入りながらぼんやり考え事をしていると、もしあの揺れが永続化した世界のようなものがあったらどうなるんだろうということを思いつき、当時はもう漫画を描くのはあきらめていたので単に気晴らしの空想としてひまな時に頭の中でそのイメージを膨らませたりするようになった。

その後漫画に再挑戦してみようとしたとき、このイメージとコーマック・マッカーシーの『ブラッド・メリディアン』という小説が気に入っていたので、これを混ぜて形にしようと考えた。
それで、(やったことはないけど)いわゆるTRPGのように、その舞台となる世界を緻密に設定して多様な展開やキャラクターなどを生めるようにしようと思った。
一応SF的な合理性を多少は考慮したいと思っていたので、まずは肝心の「地震の永続化」をうまい具合に実現できる設定を探し始めたところ、海が月や太陽の潮汐力で干満するようにその舞台となる惑星にも「月」のようなものの影響で地震を発生させればいいのではないかと考え(木星の衛星のイオを参考にした)、さらに以前なにかの記事に「もし月が木星土星だったら」というテーマで空にでかい惑星が浮かんでいる合成写真が掲載されていたのを見て、もしこういう衛星(もしくは主星)をもつ惑星で文明が生まれた場合どういう宗教や神話が生まれるのか、ということを考えたことも思いだし、この「月」になんらかの象徴性を持たせようとした。

漫画である以上重要なのはキャラだし、自分としても美少女キャラに関心があったのであくまで主役は人類かそれに類するものでなければならないし、「地震」という題材を生かすならまずその破壊力を示せるように建造物が崩壊しているところもたくさん描かなければならないので、とりあえず現地球の歴史とおなじように一定の段階まで順調に文明が進歩して、その後なんらかのカタストロフによって地上を北斗の拳的なポストアポカリプスっぽい感じの舞台に(うまいこと)変貌させる必要があると考え、そのためにはこの「月」にあるタイミングで急激な質量の変化が生じなければならない…というところまでは空想を進めたけど、このあたりをどうすればいいのか未だにわかっていないし(とりあえず「月」は舞台となる仮地球にとっての主星のようなものだけど、ここにジャイアント・インパクト説のように巨大な火星大(たぶん)の惑星が衝突して新しい月が形成、それが仮地球と主星との間に割り込み衛星間で強い軌道共鳴が発生した結果潮汐力の干渉が増した…というのが暫定的な設定)、その設定を詰める前にシーンのイメージやお話のテーマなどを巡って連想や妄想が止められなくなってしまったので、まずそちらの方を徹底的に発展させ、あとから合理的な設定を付けたそうと決めた。というのは以前アーシュラ・K・ル・グウィン(ゲド戦記のひと)のSF論で、お話を膨らませるにあたってまずはイメージや情景の方を先に決める、というやり方があると読んでいたので、一応漫画である以上視覚的なインパクトの方が重要ではあるのでこの考え方に則ったほうがいいと見込んだことによる。

永続的な地震によってある種の都市生活のようなものが成立し無くなれば、住居をなくした人々はたぶんそのままテント暮らしか新しい土地に移住して遊牧民のような生活を送るようになるかもしれないし、その場合放牧や生産業に適した土地を巡って抗争が起きるはずだし、そのための利益共同体としてなんらかの軍隊も出来るだろうし、また木星のイオ(ほどではないにしても)のように潮汐力によって地殻の内部に熱が蓄積し火山活動が活発化するだろうし、地割れなどもめちゃくちゃあるはずなので安定した農耕はかなり難しく、それらの事情によって円滑な移動手段の必要性は非常に高いはずだし、見た目としてもなにかインパクトのある乗り物があった方が面白いと考えた。

『ブラッド・メリディアン』では馬などの乗り物が使われていたし、自分としてはまず十分に開拓されていない時代のアメリカのような「不毛な荒野」というイメージに強く惹かれておりそこを舞台として考えていたので、このような地形を移動する手段として、その小説自体がメルヴィルの『白鯨』から影響を受けていたこともあって「地面を帆走する船」(ランドセーリング)を用いようと考えた。
これはダン・シモンズの『ハイペリオン』で似たようなのが出てきたので、大御所のSF作家が使ってるならそう突飛でもないだろうなと安心して以後の妄想の主イメージになった。
そしてその船に乗り組む野盗のような連中を主役にしたある種のピカレスクロマン的なイメージを膨らませていったけど、このままだと実はあんまり面白くないということに気づき、もっと突飛というか、少年漫画的な特殊能力のようなものがあった方が能力バトル系の要素を持ち込めるし、話のミクロな展開にもサスペンスを持たせることができると考え、その種のイメージを探した結果、「空から垂れ下がった糸を身体の神経網に接続することによりなんらかの能力を得る」という感じのネタを思いつき、いかにも怪しげな小道具だったのでたぶんその糸を独占し権力として用いる
教団のようなものもあるだろうと考え、そこから発展させこの糸を他人に巻き付かせることによってその他人を意のままに出来る…云々と空想を膨らませつづけ、そのあたりで一回ネームに出来そうだと考えたので、40ページほど描いて最初の1、2pをペン入れとトーン貼りまで済ませ、完成した場合の全体的なクオリティはどうなるかという見通しを立てようとした。

ところが、何気なく読んだ幸村誠ヴィンランド・サガ』のWikipediaで、文字で読む限りでは自分の漫画とキャラなどについて微妙に似ている部分が散見される…(というかテーマが似てなくもない部分もある…)という事実に驚き、急いで全巻注文して確認したところそんなに似てない気もするけど、当時その読み切りを持ち込もうと思っていたのが『ヴィンランド・サガ』が掲載されているアフタヌーンだったので、さすがになんか船っぽいのに乗って悪いことしてる人達描いた漫画をもってくのはまずい気がする…と思い、しかも相手が幸村誠先生であり、これはわたしが十代のころ『プラネテス』の一巻を読んで信じられないほどの作画や設定や話の構成のクオリティの高さに驚きとても敵わないと思った人物で、なにか抜本的に話や設定を見直したほうがいいのではないか…と大幅な方向転換を模索し始めるようになった。

その後色々とキャラなどにおびただしい改ざんを(頭の中で)加え続けていくなか、普通に考えて平坦な荒野しか舞台にしないわけでもないし、ランドセーリングだけが特徴的なモチーフになったらつまらないので、急峻な山岳地帯にも対応できて、しかもより包括的なイメージの変遷をもたらしうるような決定的な乗り物が必要だと考え続けていた。
というと馬かそれに類した生き物に頼るしかないけど、それだとそんなにインパクトも強くないし、あまり極端にファンタジーっぽくするつもりもなかったので、もっとカッコよくて、あとついでに速度もあるようなものがいい…つまり「戦車」などの近代的な乗り物しかないけど、そもそも地震によってその種の近代的工業化の手前あたりで技術の進歩が止まった世界を意識していたので(リスボン地震の時代に近い。例えば現代的な技術力を有した世界でそのような永続的地震という状況が発生したとしても(原発はともかく)なんだかんだそれなりに平和にやってけそうで許しがたいし、ある種の宗教的な要素を前面に出したいと考えていたので、啓蒙主義前後の時代に相当する最も"繁栄"した地域を筆頭に、その周辺のもっとプレモダンな古代的文化が蛮族よろしく侵攻の契機を窺いそこらじゅうに散在している…という状況がもっとも自分好みだった)、それを生産する設備もないのにどうしてそんなものがあるのか?と考えるなら要するにそれはエイリアン的なものだろうと思い、「生体戦車」というイメージに至った。

しかしこれに類するアイデアはたぶん長いSFやファンタジーの歴史上おびただしいほど存在するはずだし、これだけではそんなにユニークでもないので、もっと膨らまして、じゃあその戦車を生産する工場も付けたして「生体工場」ならどうかと考え、ここまでくるとでっかい「街」も付属しており、それもまた「生体街」だろうなと考えたけど、「生きている街」というアイデアも沢山ある(というか藤子・F・不二夫の短編で読んだ)ので、やっぱりものたりないのでもうひと押しほしい…と考えた。
このエイリアン的無機物はこの段階ではH・R・ギーガーのエイリアンのような見た目をしており、蛇のようにエロティックな体表の「家」や「工場」や「近代兵器」がそのへんをうようよしていてその活動源は地熱でこれを貪り食って生きているはずだと考えていたけど、例によって視覚的インパクトを最重視していたので、ぬめぬめした爬虫類的なクリーチャーはたくさんあることからまずこの表皮になにか付けたそうとして、結果「羽毛」や「体毛」を生やすことにした。

その数年前、ガルパンが放映されていたときの自分の空想ではアメリカ的荒野を近代的な戦車がメソアメリカのシャーマンのような羽飾りをつけ進軍しアステカ的生け贄のための奴隷を確保する戦争を行っていたので、ずいぶん前に見た目のアイデアだけはあった(あとYoutubeの音楽などからも影響された)ことからその採用をするのにあまり苦労はしなかったけど、しかしこの「毛」というものも、大分前に恐竜には実はけっこう羽毛が生えてた的な事実が判明したことにも由来するし(でかい恐竜がモコモコした羽毛をまとって捕食しまくってたらメチャきもいな…などと考え)、また古代ギリシャの神殿の彩色を復元したCGを見た時のあれなんか以外とチープだったんだな…という感想を抱いたこと(あの白亜の大理石の堂々とした感じがカッコイイのかと思ってたけど当時の人々は違う感性だったのかもしれない…などと考え)、そしてそれらの事実についてニーチェの(言葉を引用した誰かの本の)「悲劇の主人公は本来陽気である」的な指摘を連想したことと、さらに毛についてバタイユが女性の髪を太陽か何かに喩えていたことも想起して、しかも「毛」を生やした戦車がのそのそ動いているシーンを思い浮かべていた自分はそれが自分にとって最も恐ろしいあの虫にそっくりであるにも関わらずこれをかなり気に入っていることに戸惑い(一応これらの生物は「恐竜」の特徴を持っているという形式的前提を今のところ固持してはいる…)、また「動物を模倣する機械」なら結構あるけど「機械を模倣する動物」というイメージはそんなにないし、ギーガーのクリーチャーが「機械と人間の融合」というテーマに基づいており自分もそこからイメージを発展させたことを踏まえ、これに「死即生物」と名前を付けたところで、わたしが描こうとしていたものの根源的なテーマのようなものがかなり明確に浮かび上がり、そのようなものをもたらした諸々のイメージの群れが自分の人生の現実的体験にかなり由来している部分もあるのではないか…ということに「後から気づき」、連想が加速度的に進んでいった。

そしてなんだかんだあって、要するにこの漫画は「産出者」と「全一者」との戦いを描くものであり、これは言い換えれば太陽-山と、月-海との戦いでもある…という事実を後から発見した。
地震とはその世界にあって「月の死」、(この月はかつて青く美しい見た目をしており、それが惑星の衝突によって一変し現在では白い遺灰のような見た目になっている。宗教的には「楽園」「審判の座」などと呼ばれていた)つまり超越性の死によってもたらされた災害であり、これは言い換えれば「海と大地の一致」、つまり「地面が海になった」ことを意味し、『ブラッド・メリディアン』に登場する最重要人物のホールデン判事が白鯨をモデルにしているように、陸を侵略する海、津波のようなものでもあり、死即生物そのものでもある。だからこの死即生物は「波」でできているとも言えるが(現にそれはゆらゆら蜃気楼のように揺れていて「震動への適応」を示しており、それと荒野に広がる旧時代の文明の遺物である瓦礫が示すある種の不完全性との対比において、永遠と一瞬という普遍的な対立図式をも表す)、それが「毛」という形態として表されるのはそこに確固とした存在の基盤がないことにも由来し、ある意味水のように捉えどころのない点などが共通している(部分もある)し、また「化石」は残るが「毛」は再現性があまりない、という性質を仮定し、しかしそれが(DNAなどの)「永遠」としてある種の抗いがたい暴力性と結びつくとすれば、それこそ「死即生物」の生態そのもの、ととりあえず考えた。

 上の文章を書いたのは創世自慰からしばらくしてからです。これも大体一気呵成に書きました。今となってはツッコミどころが多い上に大分イメージも変遷してしまいましたが、源流はここにある、ということを再確認しておきたいです。

さて、「死即生物」とは重要なイメージです。わたしはあの3月4日の体験に至る前後つねにこのようなことを考えていたのです。例えば、わたしが「モニタになった」と感じたところの部屋の壁なども、毛が生えゆらゆらと胎動するものとして盛んにイメージしていたし、またそれに伴い常に地震の揺れなども意識していました。ある晩などは常に寝床が揺れているような錯覚に囚われ眠れなかったぐらいです。

わたしが『Earth And Pillars』の『Tides』という楽曲にYoutubeでたどり着いたとき、極めて運命的な符合の一致を感じたのも上述の漫画の内容を下敷きにしていたからなのです。実際、あとでこの楽曲の歌詞を調べてみた時にその内容と自分のイメージがそう遠く隔たっていないことを確認しました。

 Earth and Pillars /Tides (inspire by E.Montale)

Ancient, i am silent as your voice.
Yells from your mouths of waves.
As once, become stone.
At the solemn monition of your breath.
Teach, from the abyss, the ferment.
Of our hearth is nothing.

(As your relentless law sway beyond our time.
Vast and ever changing, the foundation of the pillars.
Feel the cycle of seasons and the drip.
Of the hourglass sand, you know nothing of this.)

Vastness redeems our flesh, the calm.
Pervades and destiny awaits on the edge.
Of the halcyon days.

Yet, reject us.
Inhuman hearth pulsating.
Means and not end, we are.

Your silence erupts form your womb.
Our hum a distant echoes of your voice.
We depart, we burn and as dust.
Come back and fall, into you.

 まあ英語なんでよく分からないんですが…。上の歌詞はイタリアの詩人、エウジェーニオ・モンターレという人からインスパイアされたものらしいです。

この「海」というイメージはわたしの妄想の中で極めて重要な象徴的役割を果たします。海、というと連想するのがフロイトが嫌ったロマン・ロランの「大洋的感情」(宗教的意識の源泉となるような感情のこと)ですし、またニーチェが好むものであると同時に、上のモンターレが影響を受けたT.Sエリオットの詩を引用した『渚にて』というSF小説でもあり、またメルヴィルの『白鯨』の舞台でもあります。これらすべてはわたしにとって意味深い符合の一致に思えていました。

 あと、さらっと「産出者」とか出てきてますがこれについては後述します。

 

こうして晒してしまったので何かこう「魔力」のようなものが上のアイデアから消え去ってしまった気がするのですが、そっちのほうが凝り固まった観念にとらわれずに済む分良いと思います。とにかく、今は漫画のことだけ考えていたいです。