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8年間引きこもっていたら統合失調症と診断されました。

統合失調症と診断された元引きこもりの覚え書き。

「貫通し逃げ去る」とは何か?

2016年3月4日について

今回は「貫通し逃げ去る」ということがどういうものなのか可能な限り解説を試みたいと思います。

 

…とはいうものの、これは統合失調症に多く見受けられるいわゆる述語論理的な思考、という一言で片づけることが出来そうです。詳しくは検索してみてください(いきなり身も蓋もないですが…)。

 

しかしわたしにとってとりわけ重要だったことは、その述語論理の同一性が、例えばリンゴは赤い、広島カープの選手も赤い、だからリンゴは広島カープの選手である…と言われた時、それが実に生々しい実感として、まさにリンゴが選手であるかのように思えていた、ということなのです。

 そういえば去年玄関にクソデカい黒いアレがのっそり這っていたのを見た自分は一瞬でひきつり毛穴が開き全身小便小僧になった自分は汗の精液を三位一体の(というのは左から順番に自室・玄関・居間とならび玄関が奥にあるからだけど)中心でスプリンクラーになり芝生の緑を肥やす…

 この時、わたしにとっては過去の自分がまさにスプリンクラーそのものだと思えていたし、自室・玄関・居間を結ぶ三角形がまさに三位一体の図に合致しており、そしてその中心部で自分が精液=生命を贈与する神になったと本気で考えていたのでした。この時の言い難い酩酊感をわたしは以下のように表現しました。これは創世自慰から大分あとになって、描こうと思っていた漫画の設定用に書いたものです。体系化され秩序だっている分、原初的な真実味からは若干遠のいているかもしれません。

 概念:
「空笑態」事物が虚しく思われる時の状態。それらは全て空笑いをしているように、ただ漫然とした調和のなかにあるように思える。そこには一切の交流が欠如している。


「嘲笑態」認識する事物が内奥に何かを隠し持っているかのように振る舞う時の状態。それは認識者に対する攻撃と闘争開始の宣言であり、一切の事物の戦争状態をもたらすものである。


「爆笑態」認識する事物がもはや何も隠し持っていないことを暴露し、認識者や他の事物へ向けた攻撃性と嘲笑の全てを自分に向け直す時の状態。このときその事物は自己を焼き尽くし、万物の流転の相を開示する。そしてその流転のさなかに他の事物との交流状態が発生し、あらゆる名をその事物の中に呼び込む。「石」はもはやただの「石」ではなく、「意志」であり「岩」であり「子」である…という具合に。産出状態。また事物による「輪姦」が行われている様。…

 文字通りわたしは創世自慰に耽りながら爆笑していたのですが、その時の恍惚とした喜悦はただ述語論理に従えば得られるものでは到底ありません。その時の実体感、まさに自分自身がどこかに消し飛び万物との交流状態、すなわち「輪姦」に晒されていたあの感覚は言葉では表現することが出来ないかもしれません。

また、わたしは自分を以下の言葉で表しました…。

「輪姦処女チビバツ子ちゃん」

 ここで重要なのが、「輪姦」に晒されつつなお自分が「処女」性を保つかのように思われていた、ということなのです。これについてはいずれ考えてみたいと思います。

ともかく、わたしはこの自分の内に如何なるものでも見出せる、と強い確信を抱いており、自分の過去のあらゆる記憶からすぐさま宇宙の真理をなんらか引き出せると考えていたのです。

 

さて、「キリストを孕むマリア」、「エロスのためのタナトス」として言い表されてきた、このキリストとエロスであるところの「同一の力」は、貫通し逃げ去る状態を惹き起こす述語論理の原動力として位置づけられますが、それは一体如何なるものなのでしょうか。

おそらくこの最初の文章の中にヒントがあると思います。

 祖母は14歳で小学校の教師をやる羽目になって終戦の時米兵がやってきてヘイジャパニーズと話しかけられたことをいつも話していて繰り返し話していて家族で谷間にへばりついた歯で可愛がられうち捨てられたガム(家)に入るといつもその話をしていて必ずしていて永久にするべきでその祖母はまた自分がトイレに入っているとおいミドリだったかなんとかと粗暴な男子生徒から声をかけられて怒鳴り返したという自慢を繰り返し話していて必ずしていて…

 これは憶測ですが、以前述べたような、これらの記憶に通底する「ある閉鎖的な環境に異物が侵入する」ということ、これがこの同一の力の正体に近いのではないかと思います。

 

「閉鎖的な環境」とは、ここではたぶんある言語化された事物の同一性を表すと思います。そして、「異物」とはその同一性を破壊する「外部」の、言語にとって疎遠であるなにか、「無」のようなものではないでしょうか。その無とは、我々の認識方式によっては捉えられない物自体のようなものとして一応は考えてみたいと思います。

とするとこの同一の力とは、絶えず同一性への無の侵入という祖型を反復すること、として考えられないでしょうか。それは「永久強姦永久出産」という言葉でイメージされる事態でもあります。この時事物を貫いていくのは他ならない無なのでしょう。だからこそそれは各述語によって結びつけられた事物が、単なる比喩的な関係ではなしに生々しい「物」として実感された、ということではないでしょうか。そして、一旦破壊された同一性をモルタルのように無がつぎはぎすることによってある種の統合が果たされることを、「エロス」と呼ぶのもあながち間違っていないかもしれません。

 

例によってよく分からなくなってきました…。というかよく理解してもいないのに勢いだけで書いてます。あとで訂正するかもしれません。続きは次回に。