8年間引きこもっていたら統合失調症と診断されました。

統合失調症と診断された元引きこもりの覚え書き。

今日も何もしなかった。

漫画を描くッ、と決めていたはずなのですが、今日も全然描きませんでした泣。会社だと絵を描くのは苦ではないのですが、家に居るとどうしてもだらだらしてしまいます。

今日はちょろっと本を読んだ以外は基本的に何もしてません。恐ろしく不毛。休日は引きこもりニートだったころと全く変わらない状況に置かれてしまいます。まあ休むというのはそういうことかもしれませんが。

昨日は自撮りを晒してしまいました。そんなに不細工でもないので、「勿体ない」ので利用した方が良いと考えたのです。チヤホヤされるのもうれしいですしね。しかしTwitterからのアクセスはあるのですがはてなからのアクセスは少なかった…。もっと閲覧数を伸ばしたいところですが、まあ別に決して面白い内容ではないので有用な記事に比べると劣るのは仕方ないです。

Twitterでフォロワーの方にタロット占いをしてもらいました。最近はこういうものに興味があります。例えば日付など数字に何か意味深なものを見出したり、偶然の一致に気付いたり、など。ユングを読んだ方が良いのかも知れません。

 

こう言われました。

『過去に失敗して終わったものが、新しい形でスタートする。別の可能性が見えて、悩みから抜け出す兆しが出る年になる。心の中で、自分に対する不満からの葛藤が見えたから、今までの経験や失敗を生かしながら切磋琢磨していけば希望的観測が見える。』

 

「過去に失敗に終わったものが、新しい形でスタートする。」とは、漫画のことのような気もしますし、「キリストになる」というわたしの妄想的な野望のことを指す気もします。なんにせよ、どうとでも取れる言葉が占いの魅力でもありますから深く考えても仕方ないかもしれません。しかし、占いにわたしが求めるのはたぶんこの行動に指針を与えてくれるような一種の恣意性なのです。実際何が「運命」を知るうえで合理的かということは言葉の上では決定は不可能なのではないかと思うのです。

 

現実はいかようにも切り取ることが出来ると思います。占いの恣意的な言葉はそこにとりあえず形を与えてくれます。それが上述の無気力に上手く作用してくれるのではないかと思うのです。

 

ところで、相撲の稀勢の里がついに優勝したようです。若いころわたしは稀勢の里が優勝すれば自分自身も何か変わるだろう、と儚い期待を引きこもり生活の中で抱いたものですが、それが今ついに果たされたことはなかなか興味深いです。去年はわたしにとって激動の年でしたが、今年も何かが大きく変わる予感がします。それは「過去に失敗に終わったもの」の中から始まるのかも知れません。まあ当たるも八卦当たらぬも八卦、という所ですね、相撲だけに。

はい終わり。