読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

8年間引きこもっていたら統合失調症と診断されました。

統合失調症と診断された元引きこもりの覚え書き。

2017年3月19日

もうブログも飽きてきました。陽性症状の頃に考えていた諸々のことを記したいのですが、抽象的な思考力が落ちてきた感じがしてろくに考えられなくなりました。最近本を全く読まなくなったのも大きいと思います。代わりに絵ばかり描いています。今はキュアマカロンのスケベ絵に取り組んでいます。Pixivで同人作家としての実力を示すための絵です。結局、漫画家もアシスタントもやめて同人作家として食っていくことを目指す羽目になりました。トホホ。

 

何度かTwitterを辞めようとしたのですが、結局ノコノコ戻ってきてしまいメンヘラ特有の辞める辞める詐欺常習犯になっています。ついダラダラネットばかり閲覧してしまう癖のせいで全く集中力がない。Twitterは適当にクソみたいなことを呟けばふぁぼという承認がお手軽に得られてしまうので、承認を得るための努力が必要なくなってしまう。実に不毛だと思いますが、それでも「他者」との接触という実感が得られることは何物にも代えがたいのも事実。実際、ネットでイキるのをやめたわたしなどは「あ、はい」と「そうですか」としか自己表現しない不気味な機械でしかなくなるため、自我が極めて貧困になると同時に他人との疎通性も消失した石ころのような無機的存在になってしまうのです。それに伴い今までに考えていたアイデアなども消失してしまう感じがします。「他人に伝える」ということがおそらく言語や他のあらゆる創造的活動の根源にあるのであり、その他者への回路が閉ざされれば、あとは妄想的に他者を捏造するしかなくなるのではないでしょうか。事実あの例の体験とはそのようなものでもあったと思います。だから他人は重要。他人に伝えるという意識も重要。

 

まあしかし、仮にエロ同人作家になったとしても、それでどうなるのだろうという虚しさは変わりません。昔ちょろっと同人CG集を販売した時は引きこもりだったのですが、結局その状態に後戻りするだけじゃないですか。何も環境は変わらない。金が稼げればそれも変わるのかもしれないけれど、さすがに一人暮らし出来るほどの収入が得られるとは思えない。実家暮らしは脱出できそうにないです。

しかしこれも障害者の限界なのかもしれないし。まあ、一般企業で立派に働いている障害者の方もたくさんいるはずですが、わたしなどは8年引きこもりというどうしようもない落伍者なのであって、そんな人間に許される道はそう多くないのです。だからエロ同人しかない。

作業所辞めたい。

久しぶりに更新します。まず作業所の話。

無理難題と思われていたアニメ制作もやっと失敗に終わったことが共通了解として広まって来たようで、期限を終えて一安心です。とはいえこれで一番分が悪くなるのはわたしだけのような気もするのですが。最初から最後までグダグダでしたね。まるで太平洋戦争に突っ走る日本のように勝ち目がないのは明白だったのですが、誰も無理ということを言いだせずに案の定失敗に終わる。誰が悪いわけでもない、と思いつつ、結構内心では周囲の人間に責任を押しつけているのでそんなに精神的に負担にはなっていません。無理難題を押しつける社長が悪い。結局障害者の雑多な寄せ集めにすぎない作業所、それで作れるものなんてたかが知れてます。

今のところはなんだか期限も過ぎたのに誰も何も言って来ないし、もうわたし自体がある種のアンタッチャブルな腫物のような立ち位置になっている気がするし、グダグダすぎて今日は一日何もせず本ばっかり読んでいました。

このグダグダも早晩責任の擦り付け合いという地獄の様相を呈し始め、最終的には無口で地味で何を考えているのかよく分からない不気味な末端作業員であるわたしにスケープゴートの栄誉が回り、現在のPC班から降格、という筋書も脳裏をよぎります。まあ別に構わないけどね、軽作業も楽は楽だし。ただそうなったらあまりの居辛さに蒸発するしかないと思います。早く辞めたい。

 

漫画の話。

とりあえずプロットは概ね完成したのでネームを描いているのですが、やはりプロットで計画した細かい流れを変更したり前後で入れ替えたりしなければならない局面が多く、それに伴い無数の問題点が浮上してきて中々気力を使います。全然進められてないです。

何より、やっぱりアシスタントになるのは難しい、ということに段々気づいてきたのが大きいです。アシスタントというのはあくまで漫画家志望者の訓練場という限りで有意義なのであって、そこで食っていくというのは難しい。別に漫画家になれるとも思えない私のような人間は「冷やかし」なのかもしれない、と考え出すととても出来る気にはなれません。これで大分モチベーションが下がりました。

まあ、それでも漫画は描きます。これは将来がどうとかの利益の問題ではなく、単にシンプルな表現欲求の問題です。しかし、漫画に懸けていた諸々の期待が解体されたのは痛い。純粋に描くのを楽しむのが一番と分かっていても、辛い部分がある。

 

薬の話。

一旦断薬したのですが、鬱が苦しくなったので再開してしまいました。苦悩も楽しめるッ、と息巻いていたのは完全に甘かったです。それに、少量ならエビリファイを飲んだほうが基本的にドーパミンは出てくれるようです。

 

将来が見えなくなってしまいました。もうこんな作業所には一秒だっていたくないです。ちょうど絵が描ける人材が新しく入って来たようなので、もうわたしの役割は終わった気もします。次に給料を貰ったらもう蒸発ですかね。無理しても仕方ないし、所詮は作業所のおままごとに過ぎないと思えば気楽になれます。

 

もうエロ同人で生きていくしかない、という所まで追いつめられてしまいました。月給四万円ならまだそっちで稼いだ方が未来があるように思えます。

漫画について。

漫画について

頭を整理するためにもわたしが構想していた漫画のアイデアを晒してみたいと思います。実際これらの漫画のイメージはわたしの3月4日の体験に深く絡み合っているため、そちらを再構成するためにも重要ではないかと思うのです。まああくまで忘備録というか、覚え書きなので読んで面白いかは分かりませんし、ましてや漫画として面白いかどうかもわかりません。ただの自己満足ですね。

まず東日本大震災が落ち着いてきた時期(具体的にいつかは思いだせない)に、トイレに入りながらぼんやり考え事をしていると、もしあの揺れが永続化した世界のようなものがあったらどうなるんだろうということを思いつき、当時はもう漫画を描くのはあきらめていたので単に気晴らしの空想としてひまな時に頭の中でそのイメージを膨らませたりするようになった。

その後漫画に再挑戦してみようとしたとき、このイメージとコーマック・マッカーシーの『ブラッド・メリディアン』という小説が気に入っていたので、これを混ぜて形にしようと考えた。
それで、(やったことはないけど)いわゆるTRPGのように、その舞台となる世界を緻密に設定して多様な展開やキャラクターなどを生めるようにしようと思った。
一応SF的な合理性を多少は考慮したいと思っていたので、まずは肝心の「地震の永続化」をうまい具合に実現できる設定を探し始めたところ、海が月や太陽の潮汐力で干満するようにその舞台となる惑星にも「月」のようなものの影響で地震を発生させればいいのではないかと考え(木星の衛星のイオを参考にした)、さらに以前なにかの記事に「もし月が木星土星だったら」というテーマで空にでかい惑星が浮かんでいる合成写真が掲載されていたのを見て、もしこういう衛星(もしくは主星)をもつ惑星で文明が生まれた場合どういう宗教や神話が生まれるのか、ということを考えたことも思いだし、この「月」になんらかの象徴性を持たせようとした。

漫画である以上重要なのはキャラだし、自分としても美少女キャラに関心があったのであくまで主役は人類かそれに類するものでなければならないし、「地震」という題材を生かすならまずその破壊力を示せるように建造物が崩壊しているところもたくさん描かなければならないので、とりあえず現地球の歴史とおなじように一定の段階まで順調に文明が進歩して、その後なんらかのカタストロフによって地上を北斗の拳的なポストアポカリプスっぽい感じの舞台に(うまいこと)変貌させる必要があると考え、そのためにはこの「月」にあるタイミングで急激な質量の変化が生じなければならない…というところまでは空想を進めたけど、このあたりをどうすればいいのか未だにわかっていないし(とりあえず「月」は舞台となる仮地球にとっての主星のようなものだけど、ここにジャイアント・インパクト説のように巨大な火星大(たぶん)の惑星が衝突して新しい月が形成、それが仮地球と主星との間に割り込み衛星間で強い軌道共鳴が発生した結果潮汐力の干渉が増した…というのが暫定的な設定)、その設定を詰める前にシーンのイメージやお話のテーマなどを巡って連想や妄想が止められなくなってしまったので、まずそちらの方を徹底的に発展させ、あとから合理的な設定を付けたそうと決めた。というのは以前アーシュラ・K・ル・グウィン(ゲド戦記のひと)のSF論で、お話を膨らませるにあたってまずはイメージや情景の方を先に決める、というやり方があると読んでいたので、一応漫画である以上視覚的なインパクトの方が重要ではあるのでこの考え方に則ったほうがいいと見込んだことによる。

永続的な地震によってある種の都市生活のようなものが成立し無くなれば、住居をなくした人々はたぶんそのままテント暮らしか新しい土地に移住して遊牧民のような生活を送るようになるかもしれないし、その場合放牧や生産業に適した土地を巡って抗争が起きるはずだし、そのための利益共同体としてなんらかの軍隊も出来るだろうし、また木星のイオ(ほどではないにしても)のように潮汐力によって地殻の内部に熱が蓄積し火山活動が活発化するだろうし、地割れなどもめちゃくちゃあるはずなので安定した農耕はかなり難しく、それらの事情によって円滑な移動手段の必要性は非常に高いはずだし、見た目としてもなにかインパクトのある乗り物があった方が面白いと考えた。

『ブラッド・メリディアン』では馬などの乗り物が使われていたし、自分としてはまず十分に開拓されていない時代のアメリカのような「不毛な荒野」というイメージに強く惹かれておりそこを舞台として考えていたので、このような地形を移動する手段として、その小説自体がメルヴィルの『白鯨』から影響を受けていたこともあって「地面を帆走する船」(ランドセーリング)を用いようと考えた。
これはダン・シモンズの『ハイペリオン』で似たようなのが出てきたので、大御所のSF作家が使ってるならそう突飛でもないだろうなと安心して以後の妄想の主イメージになった。
そしてその船に乗り組む野盗のような連中を主役にしたある種のピカレスクロマン的なイメージを膨らませていったけど、このままだと実はあんまり面白くないということに気づき、もっと突飛というか、少年漫画的な特殊能力のようなものがあった方が能力バトル系の要素を持ち込めるし、話のミクロな展開にもサスペンスを持たせることができると考え、その種のイメージを探した結果、「空から垂れ下がった糸を身体の神経網に接続することによりなんらかの能力を得る」という感じのネタを思いつき、いかにも怪しげな小道具だったのでたぶんその糸を独占し権力として用いる
教団のようなものもあるだろうと考え、そこから発展させこの糸を他人に巻き付かせることによってその他人を意のままに出来る…云々と空想を膨らませつづけ、そのあたりで一回ネームに出来そうだと考えたので、40ページほど描いて最初の1、2pをペン入れとトーン貼りまで済ませ、完成した場合の全体的なクオリティはどうなるかという見通しを立てようとした。

ところが、何気なく読んだ幸村誠ヴィンランド・サガ』のWikipediaで、文字で読む限りでは自分の漫画とキャラなどについて微妙に似ている部分が散見される…(というかテーマが似てなくもない部分もある…)という事実に驚き、急いで全巻注文して確認したところそんなに似てない気もするけど、当時その読み切りを持ち込もうと思っていたのが『ヴィンランド・サガ』が掲載されているアフタヌーンだったので、さすがになんか船っぽいのに乗って悪いことしてる人達描いた漫画をもってくのはまずい気がする…と思い、しかも相手が幸村誠先生であり、これはわたしが十代のころ『プラネテス』の一巻を読んで信じられないほどの作画や設定や話の構成のクオリティの高さに驚きとても敵わないと思った人物で、なにか抜本的に話や設定を見直したほうがいいのではないか…と大幅な方向転換を模索し始めるようになった。

その後色々とキャラなどにおびただしい改ざんを(頭の中で)加え続けていくなか、普通に考えて平坦な荒野しか舞台にしないわけでもないし、ランドセーリングだけが特徴的なモチーフになったらつまらないので、急峻な山岳地帯にも対応できて、しかもより包括的なイメージの変遷をもたらしうるような決定的な乗り物が必要だと考え続けていた。
というと馬かそれに類した生き物に頼るしかないけど、それだとそんなにインパクトも強くないし、あまり極端にファンタジーっぽくするつもりもなかったので、もっとカッコよくて、あとついでに速度もあるようなものがいい…つまり「戦車」などの近代的な乗り物しかないけど、そもそも地震によってその種の近代的工業化の手前あたりで技術の進歩が止まった世界を意識していたので(リスボン地震の時代に近い。例えば現代的な技術力を有した世界でそのような永続的地震という状況が発生したとしても(原発はともかく)なんだかんだそれなりに平和にやってけそうで許しがたいし、ある種の宗教的な要素を前面に出したいと考えていたので、啓蒙主義前後の時代に相当する最も"繁栄"した地域を筆頭に、その周辺のもっとプレモダンな古代的文化が蛮族よろしく侵攻の契機を窺いそこらじゅうに散在している…という状況がもっとも自分好みだった)、それを生産する設備もないのにどうしてそんなものがあるのか?と考えるなら要するにそれはエイリアン的なものだろうと思い、「生体戦車」というイメージに至った。

しかしこれに類するアイデアはたぶん長いSFやファンタジーの歴史上おびただしいほど存在するはずだし、これだけではそんなにユニークでもないので、もっと膨らまして、じゃあその戦車を生産する工場も付けたして「生体工場」ならどうかと考え、ここまでくるとでっかい「街」も付属しており、それもまた「生体街」だろうなと考えたけど、「生きている街」というアイデアも沢山ある(というか藤子・F・不二夫の短編で読んだ)ので、やっぱりものたりないのでもうひと押しほしい…と考えた。
このエイリアン的無機物はこの段階ではH・R・ギーガーのエイリアンのような見た目をしており、蛇のようにエロティックな体表の「家」や「工場」や「近代兵器」がそのへんをうようよしていてその活動源は地熱でこれを貪り食って生きているはずだと考えていたけど、例によって視覚的インパクトを最重視していたので、ぬめぬめした爬虫類的なクリーチャーはたくさんあることからまずこの表皮になにか付けたそうとして、結果「羽毛」や「体毛」を生やすことにした。

その数年前、ガルパンが放映されていたときの自分の空想ではアメリカ的荒野を近代的な戦車がメソアメリカのシャーマンのような羽飾りをつけ進軍しアステカ的生け贄のための奴隷を確保する戦争を行っていたので、ずいぶん前に見た目のアイデアだけはあった(あとYoutubeの音楽などからも影響された)ことからその採用をするのにあまり苦労はしなかったけど、しかしこの「毛」というものも、大分前に恐竜には実はけっこう羽毛が生えてた的な事実が判明したことにも由来するし(でかい恐竜がモコモコした羽毛をまとって捕食しまくってたらメチャきもいな…などと考え)、また古代ギリシャの神殿の彩色を復元したCGを見た時のあれなんか以外とチープだったんだな…という感想を抱いたこと(あの白亜の大理石の堂々とした感じがカッコイイのかと思ってたけど当時の人々は違う感性だったのかもしれない…などと考え)、そしてそれらの事実についてニーチェの(言葉を引用した誰かの本の)「悲劇の主人公は本来陽気である」的な指摘を連想したことと、さらに毛についてバタイユが女性の髪を太陽か何かに喩えていたことも想起して、しかも「毛」を生やした戦車がのそのそ動いているシーンを思い浮かべていた自分はそれが自分にとって最も恐ろしいあの虫にそっくりであるにも関わらずこれをかなり気に入っていることに戸惑い(一応これらの生物は「恐竜」の特徴を持っているという形式的前提を今のところ固持してはいる…)、また「動物を模倣する機械」なら結構あるけど「機械を模倣する動物」というイメージはそんなにないし、ギーガーのクリーチャーが「機械と人間の融合」というテーマに基づいており自分もそこからイメージを発展させたことを踏まえ、これに「死即生物」と名前を付けたところで、わたしが描こうとしていたものの根源的なテーマのようなものがかなり明確に浮かび上がり、そのようなものをもたらした諸々のイメージの群れが自分の人生の現実的体験にかなり由来している部分もあるのではないか…ということに「後から気づき」、連想が加速度的に進んでいった。

そしてなんだかんだあって、要するにこの漫画は「産出者」と「全一者」との戦いを描くものであり、これは言い換えれば太陽-山と、月-海との戦いでもある…という事実を後から発見した。
地震とはその世界にあって「月の死」、(この月はかつて青く美しい見た目をしており、それが惑星の衝突によって一変し現在では白い遺灰のような見た目になっている。宗教的には「楽園」「審判の座」などと呼ばれていた)つまり超越性の死によってもたらされた災害であり、これは言い換えれば「海と大地の一致」、つまり「地面が海になった」ことを意味し、『ブラッド・メリディアン』に登場する最重要人物のホールデン判事が白鯨をモデルにしているように、陸を侵略する海、津波のようなものでもあり、死即生物そのものでもある。だからこの死即生物は「波」でできているとも言えるが(現にそれはゆらゆら蜃気楼のように揺れていて「震動への適応」を示しており、それと荒野に広がる旧時代の文明の遺物である瓦礫が示すある種の不完全性との対比において、永遠と一瞬という普遍的な対立図式をも表す)、それが「毛」という形態として表されるのはそこに確固とした存在の基盤がないことにも由来し、ある意味水のように捉えどころのない点などが共通している(部分もある)し、また「化石」は残るが「毛」は再現性があまりない、という性質を仮定し、しかしそれが(DNAなどの)「永遠」としてある種の抗いがたい暴力性と結びつくとすれば、それこそ「死即生物」の生態そのもの、ととりあえず考えた。

 上の文章を書いたのは創世自慰からしばらくしてからです。これも大体一気呵成に書きました。今となってはツッコミどころが多い上に大分イメージも変遷してしまいましたが、源流はここにある、ということを再確認しておきたいです。

さて、「死即生物」とは重要なイメージです。わたしはあの3月4日の体験に至る前後つねにこのようなことを考えていたのです。例えば、わたしが「モニタになった」と感じたところの部屋の壁なども、毛が生えゆらゆらと胎動するものとして盛んにイメージしていたし、またそれに伴い常に地震の揺れなども意識していました。ある晩などは常に寝床が揺れているような錯覚に囚われ眠れなかったぐらいです。

わたしが『Earth And Pillars』の『Tides』という楽曲にYoutubeでたどり着いたとき、極めて運命的な符合の一致を感じたのも上述の漫画の内容を下敷きにしていたからなのです。実際、あとでこの楽曲の歌詞を調べてみた時にその内容と自分のイメージがそう遠く隔たっていないことを確認しました。

 Earth and Pillars /Tides (inspire by E.Montale)

Ancient, i am silent as your voice.
Yells from your mouths of waves.
As once, become stone.
At the solemn monition of your breath.
Teach, from the abyss, the ferment.
Of our hearth is nothing.

(As your relentless law sway beyond our time.
Vast and ever changing, the foundation of the pillars.
Feel the cycle of seasons and the drip.
Of the hourglass sand, you know nothing of this.)

Vastness redeems our flesh, the calm.
Pervades and destiny awaits on the edge.
Of the halcyon days.

Yet, reject us.
Inhuman hearth pulsating.
Means and not end, we are.

Your silence erupts form your womb.
Our hum a distant echoes of your voice.
We depart, we burn and as dust.
Come back and fall, into you.

 まあ英語なんでよく分からないんですが…。上の歌詞はイタリアの詩人、エウジェーニオ・モンターレという人からインスパイアされたものらしいです。

この「海」というイメージはわたしの妄想の中で極めて重要な象徴的役割を果たします。海、というと連想するのがフロイトが嫌ったロマン・ロランの「大洋的感情」(宗教的意識の源泉となるような感情のこと)ですし、またニーチェが好むものであると同時に、上のモンターレが影響を受けたT.Sエリオットの詩を引用した『渚にて』というSF小説でもあり、またメルヴィルの『白鯨』の舞台でもあります。これらすべてはわたしにとって意味深い符合の一致に思えていました。

 あと、さらっと「産出者」とか出てきてますがこれについては後述します。

 

こうして晒してしまったので何かこう「魔力」のようなものが上のアイデアから消え去ってしまった気がするのですが、そっちのほうが凝り固まった観念にとらわれずに済む分良いと思います。とにかく、今は漫画のことだけ考えていたいです。

漫画の方が大事。

日記

今日は朝から作業所へ行きたくなくて仕方なかったです。自転車で通勤しているので本当に風が寒い。運動になるのはいいのですが。

 

さて、作業所で給料をもらったのですが、これだけ大変な思い(もっと働いている人からすれば全然楽でしょうが)をして四万円しかもらえませんでした…。やっぱり一般就労のための場だけあって、ここで働くことを当てにするわけにはいかないようです。というわけで、本格的に漫画家のアシスタントを目指したいと思います。そのためにはしばらくネットから離れた方が良い。ブログも更新ペースを落とします。

なんだかこのブログでエラソーなことばかり書いてるのが恥ずかしくなってきました。エロスのためのタナトスなんてどうでもいいです。今はそんなことに耽っている場合じゃない。まあ、自分の妄想を晒せた分ある程度独りよがりになりがちだった気分を正せたことは良かったと思います。これからは漫画に注力します。

 

ドーパミンを分泌していきたい。

日記

今はエビリファイ12mgを医師から処方されているのですが、内緒で断薬を始めました。この程度の量ならたぶん離脱症状も少なめで穏便にやめられると思います。

そもそもわたしは軽度の統合失調症と言われているわけで、そんなに薬を飲む必要もないんじゃないかと思います。事実最近は妄想的なものについて考えることはできるけれど、実際にその妄想に地で浸ることは全くなくなりました。もう寛解してるんじゃないでしょうか。それならやめたって多分大丈夫ではないかと思うのです…。

実際、この薬を飲み始めてから全く漫画のアイデアやイメージが浮かばなくなりました。あの3月4日の体験前後の頃には素晴らしいイメージがポンポン浮かんできて本当に頭が冴えていたように思うのですが、最近は薬によってドーパミンがブロックされているせいか頭がずーっとぼんやりした感じです。深く考えなくて良い分苦痛もなくなる、ということなのでしょうが、わたしにとってはその苦痛も大事な自分の感情なのです。また苦痛が大きければその分喜びも大きいとよく言われますが、これは何につけても平板な感覚に付き纏われている今のわたしからすればよく納得できることです。

とにかく薬によって病以上に人生を狂わされているような気がしてならない。病は個性として「楽しむ」ことが可能ではないかと個人的に考えているのですが、薬はただその個性をすりつぶしてことなかれとするだけのもののように思えます。薬なんかに人生をつまらないものにされるなら、いっそ病を存分に謳歌したいと常々考えています。とくに漫画を描こうとしているのならこの想像力の減衰は本当に致命的と言えます。まあ、そういう次第だから内緒で辞めてもあまり良心は傷つきませんね、自分の人生の方が大事だし、なによりこういうことは自分で決めたいですし。

これからはどんどんドーパミンを分泌していきたいですね。

今日のメタル。

www.youtube.com

Kralliceというアメリカのアヴァンギャルドブラックメタルバンドです。

このバンドは『Years Past Matter』あたりまではひたすらアトモスフェリックでメロウなトレモロリフを主体とした大変美しいブラックメタルをやっていたのですが、『Ygg Huur』で一気にテクニカルメタル寄りに転身、今作もその路線のようです。元々メンバーがテクニカルメタル出身なのでむしろ昔の路線の方が突然変異的と言えそうです。

しかしある種の叙情性のようなものは断片的にせよ随所に見られるし、緻密で難解な構成も独特の詩情をたたえており中々聴きやすいと思います。どっかのコメントで軽めのDeathspell Omegaと形容されていましたが確かに似ていますね。個人的には昔の路線もとても好きなのですが、今の方が個性的に思えるのでよいと思います。

 

今日はここまで。

「貫通し逃げ去る」とは何か?

2016年3月4日について

今回は「貫通し逃げ去る」ということがどういうものなのか可能な限り解説を試みたいと思います。

 

…とはいうものの、これは統合失調症に多く見受けられるいわゆる述語論理的な思考、という一言で片づけることが出来そうです。詳しくは検索してみてください(いきなり身も蓋もないですが…)。

 

しかしわたしにとってとりわけ重要だったことは、その述語論理の同一性が、例えばリンゴは赤い、広島カープの選手も赤い、だからリンゴは広島カープの選手である…と言われた時、それが実に生々しい実感として、まさにリンゴが選手であるかのように思えていた、ということなのです。

 そういえば去年玄関にクソデカい黒いアレがのっそり這っていたのを見た自分は一瞬でひきつり毛穴が開き全身小便小僧になった自分は汗の精液を三位一体の(というのは左から順番に自室・玄関・居間とならび玄関が奥にあるからだけど)中心でスプリンクラーになり芝生の緑を肥やす…

 この時、わたしにとっては過去の自分がまさにスプリンクラーそのものだと思えていたし、自室・玄関・居間を結ぶ三角形がまさに三位一体の図に合致しており、そしてその中心部で自分が精液=生命を贈与する神になったと本気で考えていたのでした。この時の言い難い酩酊感をわたしは以下のように表現しました。これは創世自慰から大分あとになって、描こうと思っていた漫画の設定用に書いたものです。体系化され秩序だっている分、原初的な真実味からは若干遠のいているかもしれません。

 概念:
「空笑態」事物が虚しく思われる時の状態。それらは全て空笑いをしているように、ただ漫然とした調和のなかにあるように思える。そこには一切の交流が欠如している。


「嘲笑態」認識する事物が内奥に何かを隠し持っているかのように振る舞う時の状態。それは認識者に対する攻撃と闘争開始の宣言であり、一切の事物の戦争状態をもたらすものである。


「爆笑態」認識する事物がもはや何も隠し持っていないことを暴露し、認識者や他の事物へ向けた攻撃性と嘲笑の全てを自分に向け直す時の状態。このときその事物は自己を焼き尽くし、万物の流転の相を開示する。そしてその流転のさなかに他の事物との交流状態が発生し、あらゆる名をその事物の中に呼び込む。「石」はもはやただの「石」ではなく、「意志」であり「岩」であり「子」である…という具合に。産出状態。また事物による「輪姦」が行われている様。…

 文字通りわたしは創世自慰に耽りながら爆笑していたのですが、その時の恍惚とした喜悦はただ述語論理に従えば得られるものでは到底ありません。その時の実体感、まさに自分自身がどこかに消し飛び万物との交流状態、すなわち「輪姦」に晒されていたあの感覚は言葉では表現することが出来ないかもしれません。

また、わたしは自分を以下の言葉で表しました…。

「輪姦処女チビバツ子ちゃん」

 ここで重要なのが、「輪姦」に晒されつつなお自分が「処女」性を保つかのように思われていた、ということなのです。これについてはいずれ考えてみたいと思います。

ともかく、わたしはこの自分の内に如何なるものでも見出せる、と強い確信を抱いており、自分の過去のあらゆる記憶からすぐさま宇宙の真理をなんらか引き出せると考えていたのです。

 

さて、「キリストを孕むマリア」、「エロスのためのタナトス」として言い表されてきた、このキリストとエロスであるところの「同一の力」は、貫通し逃げ去る状態を惹き起こす述語論理の原動力として位置づけられますが、それは一体如何なるものなのでしょうか。

おそらくこの最初の文章の中にヒントがあると思います。

 祖母は14歳で小学校の教師をやる羽目になって終戦の時米兵がやってきてヘイジャパニーズと話しかけられたことをいつも話していて繰り返し話していて家族で谷間にへばりついた歯で可愛がられうち捨てられたガム(家)に入るといつもその話をしていて必ずしていて永久にするべきでその祖母はまた自分がトイレに入っているとおいミドリだったかなんとかと粗暴な男子生徒から声をかけられて怒鳴り返したという自慢を繰り返し話していて必ずしていて…

 これは憶測ですが、以前述べたような、これらの記憶に通底する「ある閉鎖的な環境に異物が侵入する」ということ、これがこの同一の力の正体に近いのではないかと思います。

 

「閉鎖的な環境」とは、ここではたぶんある言語化された事物の同一性を表すと思います。そして、「異物」とはその同一性を破壊する「外部」の、言語にとって疎遠であるなにか、「無」のようなものではないでしょうか。その無とは、我々の認識方式によっては捉えられない物自体のようなものとして一応は考えてみたいと思います。

とするとこの同一の力とは、絶えず同一性への無の侵入という祖型を反復すること、として考えられないでしょうか。それは「永久強姦永久出産」という言葉でイメージされる事態でもあります。この時事物を貫いていくのは他ならない無なのでしょう。だからこそそれは各述語によって結びつけられた事物が、単なる比喩的な関係ではなしに生々しい「物」として実感された、ということではないでしょうか。そして、一旦破壊された同一性をモルタルのように無がつぎはぎすることによってある種の統合が果たされることを、「エロス」と呼ぶのもあながち間違っていないかもしれません。

 

例によってよく分からなくなってきました…。というかよく理解してもいないのに勢いだけで書いてます。あとで訂正するかもしれません。続きは次回に。

今日も疲れた…。

日記

今日も作業所へ行ってきましたが、いよいよアニメ制作という無理難題も期限が近づきその無理難題ぶりを露わにしてきた、という感じです。

1秒間に20コマ動くアニメを数十秒分、自分ひとりで作らなければならない、しかも一人の人物や物を動かすだけではなく画面内の複数の人物を同時に…ってもう無理に決まってます。なんでこんな無茶な要求に応えなければならないのかさっぱりわかりません。たぶんプロのアニメーターでも厳しいんじゃないでしょうか。それをただポンチ絵が描けるだけの素人のわたしに平然と要求してくるのだから堪ったもんじゃない。たぶんそれがいかに不可能かクドクド説明したところで理解してもらえないかもしれません。さっさと辞めたいです。

 

今日は漫画について考えていました。例えばマガジンに連載されている『神様のいうとおり』や、ヤングジャンプで連載されていた『ライアーゲーム』といったいわゆるデスゲーム系の漫画と、ジャンプで連載されている『ワールドトリガー』などの、何かの組織に所属し仲間たちと成長していくといった系統の漫画の異同について。後者の漫画を一応ここでは「戦士共同体的漫画」と呼んでおきます。

で、この二つの系列の漫画を並置可能としているのは、これらの漫画がともにある「外部」の何らかのヤバそうな存在を軸にその独自の世界を築き上げている、という点です。例えば「謎の組織」や「宇宙人」、「ネイヴァー」といった存在です。

なんだか統合失調症の妄想に登場しそうな感じですね。

ともかく、これらの存在によってかあるいは対峙してかして作り上げられた何らかの序列化された集団の中に放り込まれる、というのがこれらに共通する性質なようです。序列化とは、例えば集団内で勝者と敗者に別れたり、ランク別に分けられていたり、ということです。

この二つの系列を同時に含んだ漫画が、おそらくこれらの源流としても位置付けられる『GANTZ』だと思います。

しかし、『神様の…』や『ライアーゲーム』が集団内の序列を争うデスゲームを主体としているのに対し、『ワールドトリガー』や『GANTZ』ではむしろ「外部」の何らかの存在との戦いをメインとしています。そこにも一応組織内の序列やそれを巡る集団内部での戦いは存在するが、そちらはあくまで「外部」と戦う上で必要とされているかどうか、という枠組みからはあまり逸脱しません。

 

つまり、前者のデスゲーム系漫画が「外部」(謎の組織や『神様』などの超越的存在)を頂点とするヒエラルキー内部で如何に勝利するか、という、いわば「外部」への問いというか疑問をある程度おざなりにしてひたすらゲームのルールを順守した上で同じルールの順守者との戦いを繰り広げるのに対し、後者は「外部」そのものとの関係を問題にしたりしています。

(そして、『ワールドトリガー』のネイヴァーも『GANTZ』の宇宙人もともにそのボーダーやGANTZチームの「技術的」な始祖であったりします。つまりテクノロジーなどの法則という「ルール」を作り出した存在との闘いという構図になっています。もっともデスゲーム系の漫画も最終的にはルールを作り出した始祖との戦いになっていきますが。)

 

これは、個人的にはミステリ小説とSF小説の違いに相当すると思います。(まあワートリもガンツもSFだから当然なのですが。)

ミステリはある意味「密室」というか、ルールの決まった閉鎖的な環境や犯人の作り出したある種のゲームをどう解くか、というところを魅力としていると思うのですが、SFではむしろその「外部」である何か、例えば宇宙だとか未来世界などのファンタジーが魅力となっています。

ミステリが我々の自明の法則の適用によるトリックの解明を主とするなら、SFはその法則の拡張、つまり未知なるものの登場ということを主としているように思います。

これは上述のデスゲーム系漫画と戦士共同体的漫画における「組織のルールを踏まえてその内部の関係で序列を決定するか」、「組織のルールを超えた何らかの存在との戦いを主軸として序列が決定されるか」という違いと等しいと思います。

(『ワールドトリガー』の場合ランクを決定するのは組織内のルールに則ったランク戦ですが、それでも大義はあくまで「外部」の敵との戦いなので良しとします…)

そして、前者においては「外部」の存在による時としてめちゃくちゃな恣意的ルールが説明され、これに則りバトルロワイヤル的な戦いが繰り広げられるのに対して、後者ではあくまでこの現実世界の延長上にあるかのような未知の技術体系が説明されます。

つまり前者が「属人的」なら、後者は「属世界的」、と言えそうです。(そんな言い方をしていいのなら。)

これはミステリが結局「犯人」に謎を帰着させることと、SFが科学的体系に何ほどか帰依しているのと似ています。

 

 

 まあSFもミステリもそんなに読んでないので全くの素人の半ば妄想な文章でしかないですね。

なんか疲れたので今日はこのへんにしておきます。結局漫画は描きませんでした…。