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8年間引きこもっていたら統合失調症と診断されました。

統合失調症と診断された元引きこもりの覚え書き。

2017年3月19日

もうブログも飽きてきました。陽性症状の頃に考えていた諸々のことを記したいのですが、抽象的な思考力が落ちてきた感じがしてろくに考えられなくなりました。最近本を全く読まなくなったのも大きいと思います。代わりに絵ばかり描いています。今はキュアマカロンのスケベ絵に取り組んでいます。Pixivで同人作家としての実力を示すための絵です。結局、漫画家もアシスタントもやめて同人作家として食っていくことを目指す羽目になりました。トホホ。

 

何度かTwitterを辞めようとしたのですが、結局ノコノコ戻ってきてしまいメンヘラ特有の辞める辞める詐欺常習犯になっています。ついダラダラネットばかり閲覧してしまう癖のせいで全く集中力がない。Twitterは適当にクソみたいなことを呟けばふぁぼという承認がお手軽に得られてしまうので、承認を得るための努力が必要なくなってしまう。実に不毛だと思いますが、それでも「他者」との接触という実感が得られることは何物にも代えがたいのも事実。実際、ネットでイキるのをやめたわたしなどは「あ、はい」と「そうですか」としか自己表現しない不気味な機械でしかなくなるため、自我が極めて貧困になると同時に他人との疎通性も消失した石ころのような無機的存在になってしまうのです。それに伴い今までに考えていたアイデアなども消失してしまう感じがします。「他人に伝える」ということがおそらく言語や他のあらゆる創造的活動の根源にあるのであり、その他者への回路が閉ざされれば、あとは妄想的に他者を捏造するしかなくなるのではないでしょうか。事実あの例の体験とはそのようなものでもあったと思います。だから他人は重要。他人に伝えるという意識も重要。

 

まあしかし、仮にエロ同人作家になったとしても、それでどうなるのだろうという虚しさは変わりません。昔ちょろっと同人CG集を販売した時は引きこもりだったのですが、結局その状態に後戻りするだけじゃないですか。何も環境は変わらない。金が稼げればそれも変わるのかもしれないけれど、さすがに一人暮らし出来るほどの収入が得られるとは思えない。実家暮らしは脱出できそうにないです。

しかしこれも障害者の限界なのかもしれないし。まあ、一般企業で立派に働いている障害者の方もたくさんいるはずですが、わたしなどは8年引きこもりというどうしようもない落伍者なのであって、そんな人間に許される道はそう多くないのです。だからエロ同人しかない。

作業所辞めたい。

久しぶりに更新します。まず作業所の話。

無理難題と思われていたアニメ制作もやっと失敗に終わったことが共通了解として広まって来たようで、期限を終えて一安心です。とはいえこれで一番分が悪くなるのはわたしだけのような気もするのですが。最初から最後までグダグダでしたね。まるで太平洋戦争に突っ走る日本のように勝ち目がないのは明白だったのですが、誰も無理ということを言いだせずに案の定失敗に終わる。誰が悪いわけでもない、と思いつつ、結構内心では周囲の人間に責任を押しつけているのでそんなに精神的に負担にはなっていません。無理難題を押しつける社長が悪い。結局障害者の雑多な寄せ集めにすぎない作業所、それで作れるものなんてたかが知れてます。

今のところはなんだか期限も過ぎたのに誰も何も言って来ないし、もうわたし自体がある種のアンタッチャブルな腫物のような立ち位置になっている気がするし、グダグダすぎて今日は一日何もせず本ばっかり読んでいました。

このグダグダも早晩責任の擦り付け合いという地獄の様相を呈し始め、最終的には無口で地味で何を考えているのかよく分からない不気味な末端作業員であるわたしにスケープゴートの栄誉が回り、現在のPC班から降格、という筋書も脳裏をよぎります。まあ別に構わないけどね、軽作業も楽は楽だし。ただそうなったらあまりの居辛さに蒸発するしかないと思います。早く辞めたい。

 

漫画の話。

とりあえずプロットは概ね完成したのでネームを描いているのですが、やはりプロットで計画した細かい流れを変更したり前後で入れ替えたりしなければならない局面が多く、それに伴い無数の問題点が浮上してきて中々気力を使います。全然進められてないです。

何より、やっぱりアシスタントになるのは難しい、ということに段々気づいてきたのが大きいです。アシスタントというのはあくまで漫画家志望者の訓練場という限りで有意義なのであって、そこで食っていくというのは難しい。別に漫画家になれるとも思えない私のような人間は「冷やかし」なのかもしれない、と考え出すととても出来る気にはなれません。これで大分モチベーションが下がりました。

まあ、それでも漫画は描きます。これは将来がどうとかの利益の問題ではなく、単にシンプルな表現欲求の問題です。しかし、漫画に懸けていた諸々の期待が解体されたのは痛い。純粋に描くのを楽しむのが一番と分かっていても、辛い部分がある。

 

薬の話。

一旦断薬したのですが、鬱が苦しくなったので再開してしまいました。苦悩も楽しめるッ、と息巻いていたのは完全に甘かったです。それに、少量ならエビリファイを飲んだほうが基本的にドーパミンは出てくれるようです。

 

将来が見えなくなってしまいました。もうこんな作業所には一秒だっていたくないです。ちょうど絵が描ける人材が新しく入って来たようなので、もうわたしの役割は終わった気もします。次に給料を貰ったらもう蒸発ですかね。無理しても仕方ないし、所詮は作業所のおままごとに過ぎないと思えば気楽になれます。

 

もうエロ同人で生きていくしかない、という所まで追いつめられてしまいました。月給四万円ならまだそっちで稼いだ方が未来があるように思えます。

漫画の方が大事。

今日は朝から作業所へ行きたくなくて仕方なかったです。自転車で通勤しているので本当に風が寒い。運動になるのはいいのですが。

 

さて、作業所で給料をもらったのですが、これだけ大変な思い(もっと働いている人からすれば全然楽でしょうが)をして四万円しかもらえませんでした…。やっぱり一般就労のための場だけあって、ここで働くことを当てにするわけにはいかないようです。というわけで、本格的に漫画家のアシスタントを目指したいと思います。そのためにはしばらくネットから離れた方が良い。ブログも更新ペースを落とします。

なんだかこのブログでエラソーなことばかり書いてるのが恥ずかしくなってきました。エロスのためのタナトスなんてどうでもいいです。今はそんなことに耽っている場合じゃない。まあ、自分の妄想を晒せた分ある程度独りよがりになりがちだった気分を正せたことは良かったと思います。これからは漫画に注力します。

 

ドーパミンを分泌していきたい。

今はエビリファイ12mgを医師から処方されているのですが、内緒で断薬を始めました。この程度の量ならたぶん離脱症状も少なめで穏便にやめられると思います。

そもそもわたしは軽度の統合失調症と言われているわけで、そんなに薬を飲む必要もないんじゃないかと思います。事実最近は妄想的なものについて考えることはできるけれど、実際にその妄想に地で浸ることは全くなくなりました。もう寛解してるんじゃないでしょうか。それならやめたって多分大丈夫ではないかと思うのです…。

実際、この薬を飲み始めてから全く漫画のアイデアやイメージが浮かばなくなりました。あの3月4日の体験前後の頃には素晴らしいイメージがポンポン浮かんできて本当に頭が冴えていたように思うのですが、最近は薬によってドーパミンがブロックされているせいか頭がずーっとぼんやりした感じです。深く考えなくて良い分苦痛もなくなる、ということなのでしょうが、わたしにとってはその苦痛も大事な自分の感情なのです。また苦痛が大きければその分喜びも大きいとよく言われますが、これは何につけても平板な感覚に付き纏われている今のわたしからすればよく納得できることです。

とにかく薬によって病以上に人生を狂わされているような気がしてならない。病は個性として「楽しむ」ことが可能ではないかと個人的に考えているのですが、薬はただその個性をすりつぶしてことなかれとするだけのもののように思えます。薬なんかに人生をつまらないものにされるなら、いっそ病を存分に謳歌したいと常々考えています。とくに漫画を描こうとしているのならこの想像力の減衰は本当に致命的と言えます。まあ、そういう次第だから内緒で辞めてもあまり良心は傷つきませんね、自分の人生の方が大事だし、なによりこういうことは自分で決めたいですし。

これからはどんどんドーパミンを分泌していきたいですね。

今日のメタル。

www.youtube.com

Kralliceというアメリカのアヴァンギャルドブラックメタルバンドです。

このバンドは『Years Past Matter』あたりまではひたすらアトモスフェリックでメロウなトレモロリフを主体とした大変美しいブラックメタルをやっていたのですが、『Ygg Huur』で一気にテクニカルメタル寄りに転身、今作もその路線のようです。元々メンバーがテクニカルメタル出身なのでむしろ昔の路線の方が突然変異的と言えそうです。

しかしある種の叙情性のようなものは断片的にせよ随所に見られるし、緻密で難解な構成も独特の詩情をたたえており中々聴きやすいと思います。どっかのコメントで軽めのDeathspell Omegaと形容されていましたが確かに似ていますね。個人的には昔の路線もとても好きなのですが、今の方が個性的に思えるのでよいと思います。

 

今日はここまで。

「貫通し逃げ去る」とは何か?

今回は「貫通し逃げ去る」ということがどういうものなのか可能な限り解説を試みたいと思います。

 

…とはいうものの、これは統合失調症に多く見受けられるいわゆる述語論理的な思考、という一言で片づけることが出来そうです。詳しくは検索してみてください(いきなり身も蓋もないですが…)。

 

しかしわたしにとってとりわけ重要だったことは、その述語論理の同一性が、例えばリンゴは赤い、広島カープの選手も赤い、だからリンゴは広島カープの選手である…と言われた時、それが実に生々しい実感として、まさにリンゴが選手であるかのように思えていた、ということなのです。

 そういえば去年玄関にクソデカい黒いアレがのっそり這っていたのを見た自分は一瞬でひきつり毛穴が開き全身小便小僧になった自分は汗の精液を三位一体の(というのは左から順番に自室・玄関・居間とならび玄関が奥にあるからだけど)中心でスプリンクラーになり芝生の緑を肥やす…

 この時、わたしにとっては過去の自分がまさにスプリンクラーそのものだと思えていたし、自室・玄関・居間を結ぶ三角形がまさに三位一体の図に合致しており、そしてその中心部で自分が精液=生命を贈与する神になったと本気で考えていたのでした。この時の言い難い酩酊感をわたしは以下のように表現しました。これは創世自慰から大分あとになって、描こうと思っていた漫画の設定用に書いたものです。体系化され秩序だっている分、原初的な真実味からは若干遠のいているかもしれません。

 概念:
「空笑態」事物が虚しく思われる時の状態。それらは全て空笑いをしているように、ただ漫然とした調和のなかにあるように思える。そこには一切の交流が欠如している。


「嘲笑態」認識する事物が内奥に何かを隠し持っているかのように振る舞う時の状態。それは認識者に対する攻撃と闘争開始の宣言であり、一切の事物の戦争状態をもたらすものである。


「爆笑態」認識する事物がもはや何も隠し持っていないことを暴露し、認識者や他の事物へ向けた攻撃性と嘲笑の全てを自分に向け直す時の状態。このときその事物は自己を焼き尽くし、万物の流転の相を開示する。そしてその流転のさなかに他の事物との交流状態が発生し、あらゆる名をその事物の中に呼び込む。「石」はもはやただの「石」ではなく、「意志」であり「岩」であり「子」である…という具合に。産出状態。また事物による「輪姦」が行われている様。…

 文字通りわたしは創世自慰に耽りながら爆笑していたのですが、その時の恍惚とした喜悦はただ述語論理に従えば得られるものでは到底ありません。その時の実体感、まさに自分自身がどこかに消し飛び万物との交流状態、すなわち「輪姦」に晒されていたあの感覚は言葉では表現することが出来ないかもしれません。

また、わたしは自分を以下の言葉で表しました…。

「輪姦処女チビバツ子ちゃん」

 ここで重要なのが、「輪姦」に晒されつつなお自分が「処女」性を保つかのように思われていた、ということなのです。これについてはいずれ考えてみたいと思います。

ともかく、わたしはこの自分の内に如何なるものでも見出せる、と強い確信を抱いており、自分の過去のあらゆる記憶からすぐさま宇宙の真理をなんらか引き出せると考えていたのです。

 

さて、「キリストを孕むマリア」、「エロスのためのタナトス」として言い表されてきた、このキリストとエロスであるところの「同一の力」は、貫通し逃げ去る状態を惹き起こす述語論理の原動力として位置づけられますが、それは一体如何なるものなのでしょうか。

おそらくこの最初の文章の中にヒントがあると思います。

 祖母は14歳で小学校の教師をやる羽目になって終戦の時米兵がやってきてヘイジャパニーズと話しかけられたことをいつも話していて繰り返し話していて家族で谷間にへばりついた歯で可愛がられうち捨てられたガム(家)に入るといつもその話をしていて必ずしていて永久にするべきでその祖母はまた自分がトイレに入っているとおいミドリだったかなんとかと粗暴な男子生徒から声をかけられて怒鳴り返したという自慢を繰り返し話していて必ずしていて…

 これは憶測ですが、以前述べたような、これらの記憶に通底する「ある閉鎖的な環境に異物が侵入する」ということ、これがこの同一の力の正体に近いのではないかと思います。

 

「閉鎖的な環境」とは、ここではたぶんある言語化された事物の同一性を表すと思います。そして、「異物」とはその同一性を破壊する「外部」の、言語にとって疎遠であるなにか、「無」のようなものではないでしょうか。その無とは、我々の認識方式によっては捉えられない物自体のようなものとして一応は考えてみたいと思います。

とするとこの同一の力とは、絶えず同一性への無の侵入という祖型を反復すること、として考えられないでしょうか。それは「永久強姦永久出産」という言葉でイメージされる事態でもあります。この時事物を貫いていくのは他ならない無なのでしょう。だからこそそれは各述語によって結びつけられた事物が、単なる比喩的な関係ではなしに生々しい「物」として実感された、ということではないでしょうか。そして、一旦破壊された同一性をモルタルのように無がつぎはぎすることによってある種の統合が果たされることを、「エロス」と呼ぶのもあながち間違っていないかもしれません。

 

例によってよく分からなくなってきました…。というかよく理解してもいないのに勢いだけで書いてます。あとで訂正するかもしれません。続きは次回に。

今日も疲れた…。

今日も作業所へ行ってきましたが、いよいよアニメ制作という無理難題も期限が近づきその無理難題ぶりを露わにしてきた、という感じです。

1秒間に20コマ動くアニメを数十秒分、自分ひとりで作らなければならない、しかも一人の人物や物を動かすだけではなく画面内の複数の人物を同時に…ってもう無理に決まってます。なんでこんな無茶な要求に応えなければならないのかさっぱりわかりません。たぶんプロのアニメーターでも厳しいんじゃないでしょうか。それをただポンチ絵が描けるだけの素人のわたしに平然と要求してくるのだから堪ったもんじゃない。たぶんそれがいかに不可能かクドクド説明したところで理解してもらえないかもしれません。さっさと辞めたいです。

 

今日は漫画について考えていました。例えばマガジンに連載されている『神様のいうとおり』や、ヤングジャンプで連載されていた『ライアーゲーム』といったいわゆるデスゲーム系の漫画と、ジャンプで連載されている『ワールドトリガー』などの、何かの組織に所属し仲間たちと成長していくといった系統の漫画の異同について。後者の漫画を一応ここでは「戦士共同体的漫画」と呼んでおきます。

で、この二つの系列の漫画を並置可能としているのは、これらの漫画がともにある「外部」の何らかのヤバそうな存在を軸にその独自の世界を築き上げている、という点です。例えば「謎の組織」や「宇宙人」、「ネイヴァー」といった存在です。

なんだか統合失調症の妄想に登場しそうな感じですね。

ともかく、これらの存在によってかあるいは対峙してかして作り上げられた何らかの序列化された集団の中に放り込まれる、というのがこれらに共通する性質なようです。序列化とは、例えば集団内で勝者と敗者に別れたり、ランク別に分けられていたり、ということです。

この二つの系列を同時に含んだ漫画が、おそらくこれらの源流としても位置付けられる『GANTZ』だと思います。

しかし、『神様の…』や『ライアーゲーム』が集団内の序列を争うデスゲームを主体としているのに対し、『ワールドトリガー』や『GANTZ』ではむしろ「外部」の何らかの存在との戦いをメインとしています。そこにも一応組織内の序列やそれを巡る集団内部での戦いは存在するが、そちらはあくまで「外部」と戦う上で必要とされているかどうか、という枠組みからはあまり逸脱しません。

 

つまり、前者のデスゲーム系漫画が「外部」(謎の組織や『神様』などの超越的存在)を頂点とするヒエラルキー内部で如何に勝利するか、という、いわば「外部」への問いというか疑問をある程度おざなりにしてひたすらゲームのルールを順守した上で同じルールの順守者との戦いを繰り広げるのに対し、後者は「外部」そのものとの関係を問題にしたりしています。

(そして、『ワールドトリガー』のネイヴァーも『GANTZ』の宇宙人もともにそのボーダーやGANTZチームの「技術的」な始祖であったりします。つまりテクノロジーなどの法則という「ルール」を作り出した存在との闘いという構図になっています。もっともデスゲーム系の漫画も最終的にはルールを作り出した始祖との戦いになっていきますが。)

 

これは、個人的にはミステリ小説とSF小説の違いに相当すると思います。(まあワートリもガンツもSFだから当然なのですが。)

ミステリはある意味「密室」というか、ルールの決まった閉鎖的な環境や犯人の作り出したある種のゲームをどう解くか、というところを魅力としていると思うのですが、SFではむしろその「外部」である何か、例えば宇宙だとか未来世界などのファンタジーが魅力となっています。

ミステリが我々の自明の法則の適用によるトリックの解明を主とするなら、SFはその法則の拡張、つまり未知なるものの登場ということを主としているように思います。

これは上述のデスゲーム系漫画と戦士共同体的漫画における「組織のルールを踏まえてその内部の関係で序列を決定するか」、「組織のルールを超えた何らかの存在との戦いを主軸として序列が決定されるか」という違いと等しいと思います。

(『ワールドトリガー』の場合ランクを決定するのは組織内のルールに則ったランク戦ですが、それでも大義はあくまで「外部」の敵との戦いなので良しとします…)

そして、前者においては「外部」の存在による時としてめちゃくちゃな恣意的ルールが説明され、これに則りバトルロワイヤル的な戦いが繰り広げられるのに対して、後者ではあくまでこの現実世界の延長上にあるかのような未知の技術体系が説明されます。

つまり前者が「属人的」なら、後者は「属世界的」、と言えそうです。(そんな言い方をしていいのなら。)

これはミステリが結局「犯人」に謎を帰着させることと、SFが科学的体系に何ほどか帰依しているのと似ています。

 

 

 まあSFもミステリもそんなに読んでないので全くの素人の半ば妄想な文章でしかないですね。

なんか疲れたので今日はこのへんにしておきます。結局漫画は描きませんでした…。

 

今日も何もしなかった。

漫画を描くッ、と決めていたはずなのですが、今日も全然描きませんでした泣。会社だと絵を描くのは苦ではないのですが、家に居るとどうしてもだらだらしてしまいます。

今日はちょろっと本を読んだ以外は基本的に何もしてません。恐ろしく不毛。休日は引きこもりニートだったころと全く変わらない状況に置かれてしまいます。まあ休むというのはそういうことかもしれませんが。

昨日は自撮りを晒してしまいました。そんなに不細工でもないので、「勿体ない」ので利用した方が良いと考えたのです。チヤホヤされるのもうれしいですしね。しかしTwitterからのアクセスはあるのですがはてなからのアクセスは少なかった…。もっと閲覧数を伸ばしたいところですが、まあ別に決して面白い内容ではないので有用な記事に比べると劣るのは仕方ないです。

Twitterでフォロワーの方にタロット占いをしてもらいました。最近はこういうものに興味があります。例えば日付など数字に何か意味深なものを見出したり、偶然の一致に気付いたり、など。ユングを読んだ方が良いのかも知れません。

 

こう言われました。

『過去に失敗して終わったものが、新しい形でスタートする。別の可能性が見えて、悩みから抜け出す兆しが出る年になる。心の中で、自分に対する不満からの葛藤が見えたから、今までの経験や失敗を生かしながら切磋琢磨していけば希望的観測が見える。』

 

「過去に失敗に終わったものが、新しい形でスタートする。」とは、漫画のことのような気もしますし、「キリストになる」というわたしの妄想的な野望のことを指す気もします。なんにせよ、どうとでも取れる言葉が占いの魅力でもありますから深く考えても仕方ないかもしれません。しかし、占いにわたしが求めるのはたぶんこの行動に指針を与えてくれるような一種の恣意性なのです。実際何が「運命」を知るうえで合理的かということは言葉の上では決定は不可能なのではないかと思うのです。

 

現実はいかようにも切り取ることが出来ると思います。占いの恣意的な言葉はそこにとりあえず形を与えてくれます。それが上述の無気力に上手く作用してくれるのではないかと思うのです。

 

ところで、相撲の稀勢の里がついに優勝したようです。若いころわたしは稀勢の里が優勝すれば自分自身も何か変わるだろう、と儚い期待を引きこもり生活の中で抱いたものですが、それが今ついに果たされたことはなかなか興味深いです。去年はわたしにとって激動の年でしたが、今年も何かが大きく変わる予感がします。それは「過去に失敗に終わったもの」の中から始まるのかも知れません。まあ当たるも八卦当たらぬも八卦、という所ですね、相撲だけに。

はい終わり。